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広島、長崎そして終戦

  • 鋪田博紀

もうすぐ敗戦の日がやってきますね。

広島原爆投下の朝は、ある団体の会合であいさつをさせていただきました。「戦争は相手があることです。それぞれの立場からの必然と偶然があの惨劇を生んだのだと思います。歴史について冷静な認識が必要、一時の風まかせ、感情まかせにしてはいけないと思う。」というような話をしたと思います。

テレビでは、敗戦60周年の時ほどではないにせよ、原爆を含む、戦争もののドラマやドキメンタリーを放送している。平和の尊さを考えろと言っていますね。戦争の悲惨さを忘れるなといっていますね。

戦争とはなんですか?対極にある平和とはなんでしょう?

外交の失敗がもたらしたものが戦争ということもできますね。今の平和が外交の成功の結果と言えるかどうかはわかりませんが、少なくとも外交が戦略的にも戦術的にもうまくいっていれば、戦争の必要はないわけです。

参議院議員選挙では、外交どころか内政についての争点があったわけでもなく、選挙後も私たち自民党を含めて内向きにエネルギーを浪費するばかり。ASEAN外相会議も麻生外相の余興がどうのこうのという話題のみで、会議の中身については国民は一向に関心がなく。

せめてこの夏くらいは戦争をキーワードにしてでもよいから外交問題に関心を寄せてもよいのではないでしょうか?

それから、閣僚全員が靖国参拝を取りやめたそうですが、参拝そのものの是非はさておいても、その決断は情けないという気がします。選挙でおかしな空気にふれてしまってしまったせいでしょうか?

2007年8月13日追記

それから、閣僚全員が靖国参拝を取りやめたそうですが、参拝そのものの是非はさておいても、その決断は情けないという気がします。選挙でおかしな空気にふれてしまってしまったせいでしょうか?

と書きましたたが、「閣僚全員で参拝せよ」ということではなく、「今はまずいからみんな揃って自粛しようよ」というのがいやだなぁ~ということです。

子どもの頃、「遠足でのおやつは500円まで」っていうのを大人になってもやっているという違和感。「とりあえずその場の雰囲気にあわせてやりすごしておこう」っていうのを政治家いわんや閣僚がやるということに情けなさを感じるのは私だけでしょうか?

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