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南部中学校60周年記念事業

  • 鋪田博紀

ブラスバンド部の演奏

10月26日(金)母校の富山市立南部中学校の60周年記念式典と記念コンサート・記念講演会、27日には富山第一ホテルで同窓会総会と祝賀会が開催されました。

60周年と言うと中途半端な印象をもたれるかもしれませんが、人間に例えると還暦になります。PTA会長を終えた翌年スポーツ文化後援会会長を引き受けた際、当時の酒井校長から「ブラスバンドの楽器が修理しても修理しても追いつかなくて、イベントの度に他の学校から借りている状態なのでなんとかならないか?」と相談を受け、同窓会に協力をお願いしたのが事のはじまりでした。

寄贈された横断幕

同窓会の役員の皆さんも母校のためにと全面的に協力を約束してくださり、60周年事業として募金を集めようということになりました。先輩方には本当に感謝です。

結果500万円近い募金をいただき、350万円かけてブラスバンドの楽器を更新したほか、各部の備品の更新と、横断幕などの寄贈を受けました。

また、記念講演会では西町出身の柳屋さん生師匠から、修行時代の体験から「自分で選択したことは自分の責任。失敗しても他人の責任にしてはいけない」「本当の笑いは笑わせるもの、最近のお笑いブームは笑われているだけで、勘違いをしてはいけない」など、貴重なお話を聞く機会をいただきました。

司会する鋪田

記念祝賀会では司会者という大役を仰せつかりましたが、最後の最後で参加者された同窓生からお叱りを受けました。

南部中学校には何故か校歌がなく、私が中学2年生のときに30周年記念を迎えた際にやっと校歌が制定されました。それまでは「南中の歌」という歌が校歌として歌い継がれてきました。

校歌、南中の歌、南中音頭のページ

祝賀会の締めで南中の歌と校歌を全員で合唱する際、「『南中の歌は』昭和52年に校歌が出来ても、今なお生徒たちの愛唱歌として永く愛されています」と紹介しましたが、その先輩は「俺たちは『南中の歌』で卒業したのに愛唱歌とは何事だ!」

言われてみればもっともなことです。

校歌制定当時の3年生(29回生)は「南中の歌」があるのに何故いまさら校歌なのだ?ということで、卒業式にこの新しい曲を歌うことボイコットしたそうです。2年生(30回生)だった私にとっても教務主任だったバレー部顧問の山口先生(故人、厳しさと優しさを兼ね備えた素晴らしい先生でした。よく叩かれました)が声高らかに「南中の歌!」と言われてからブラスバンド部の前奏によってはじまる南中の歌が大好きだったので、3年生の気持ちがよくわかります。

決して「南中の歌」を軽んじるつもりはなかったのですが、いつも歌っていた曲が制式かどうかは生徒にとっては関係ないことで、一人ひとりの中で校歌としての重みがあったことをわきまえない表現でした。

逆に32回生以降にとっては校歌は校歌であり、南中の歌は南中の歌ないので、両方の重みを知っている私たちの世代がしっかり伝えていかなければいけないことだと改めて学んだ貴重な事業でした。

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