ブログ

この世に生を受けて

  • 鋪田博紀

お正月にこのブログでTay-Sachs病の子どものことを書きました。

その子が今朝亡くなりました。エイプリルフールの悪い冗談であれば・・・・・・

偶然昨夜、次男と一緒に金城武主演の「死神の精度」という映画を観てきました。

映画の冒頭のシーンは、10歳で不慮の事故で亡くなった女の子の葬儀に、その女の子(魂?)と会話する金城武扮する「死神」との会話でした。

といっても誰かを殺すという恐ろしい映画ではなく、不慮の事故などで亡くなる可能性のある人間の元へ行き(死の7日前)、その人間が十分に役目を終えてなくなったかどうかを判定し、最終的に死んでもよいか、生かすのかを判定することが死神の「仕事」という設定の映画です。

3つのオムニバスからなるこの映画では、対象となった人間(さえないOL、ヤクザ、年配の理容師)の死の際に一緒にすごし、意味ある生き方をしたかどうかを見極めるシーンがポイントで、死を通して生を見つめるといった内容の映画です。

さて、両親に似て色白でまつげの長いかわいい子どもの亡骸は今にも動き出しそうな、死んだ子どもというよりもかわいいかわいい人形が横たわっている、あるいは天使が横たわっている。

そんな不思議な感じでした。

生まれながらにして寿命が限られている残酷な運命かもしれませんが、この世に生を受けてきたことはやはり大きな意味があったのだと思います。

横で無邪気にはしゃぐ、この子そっくりな妹よ。今はおにいちゃんが生まれた意味なんてわからないだろうけれど、いつかキミにもわかる日が来るよ。そしてキミが生まれた意味も。

南無阿弥陀仏

ダウンロード

先頭へ