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「中越沖地震を振り返って」シンポジウム

  • 鋪田博紀

シンポジウムの各パネラー

7月12日は、自民党ボウリング大会終了後、「中越沖地震を振り返って~災害ボランティアに求められるものは何か~」(主催:ヤングネットワークとやま)に参加するため、サンシップとやまへいってきました。

コーディネーターは島田茂氏( 富山YMCA総主事)、パネリストを小川茂(元山古志村議)、篠田英哉(小千谷市社会福祉協議会事務局長)両氏のほか、富山県ボランティア市民の会の山本光紀さん、ヤングネットワークとやま青年スタッフの北島嘉孝さんがつとめられました。

前半は、各パネリストからテーマを決めたお話がそれぞれ20分程度の持ち時間でありました。

被災地側からは、小川氏が「避難所生活は我慢が前提ではないよね」、篠田氏からは「災害ボランティアを受け入れて」をテーマにお話があり、参加したボランティア側からは、山本氏から「被災地に重機を持ち込んで」、北島氏からは「繋がり...被災地への支援活動」をテーマに、実体験をもとにそれぞれの立場から、ざっくばらんなお話を伺うことができました。

印象的だったキーワードは、当時山古志村議であった小川氏の「復旧は国の仕事、復興は住民の仕事」でした。被災時の具体的な課題としては、避難所への非難が集落単位でできずに心のダメージを受ける方が多かったことだそうで(当時の報道でもありましたね)、年老いた夫婦が離れ離れの避難所に避難することになり安否さえもわからなかったケースがあったそうです。

すぐさま集落単位での避難所体制に切り替えて、地域の自治組織を活かした避難所運営を行ったそうです。この件については小千谷市の篠田氏も、避難所は地域単位で避難所ごとに自治運営をしていただいたとおっしゃっていました。

小川氏は被災体験からNPOを立ち上げられ、住民自らの復興活動を続けていらっしゃいます。

また、避難所では「人間性が丸見えになる」、「ボランティアは欲張らない、待つのもボランティア、許すのもボランティア」などそれぞれ貴重な話がありました。

その後、パネルディスカッションと質疑応答がおこなわれました。

特に支援物資が大量に送られてもさばけなかったことについては、北島氏からロジッステックをしっかりすれば対応できるのではないかという提案がありましたが、受け入れ側の内情を伺うと簡単には解決しないようです。

どの避難所に何が不足しているかという情報管理の困難さで、そもそも個々の避難所でも実際に何が不足しているかを把握するのがままならないところへ毎日11トントラックで大量の物資が送られ、その荷捌きに大量の人員が割かれる。箱を開けてみないと何が入っているかわからない物資、衣類の場合はサイズごとに分類する作業や、本当に使えるかどうかの点検作業が必要であることが報告されました。

また、被災者個人でニーズが違うので、テレビのレポーターに「紙おむつが足りない」と言ったところ全国から大量の紙おむつが送られてきたが、避難所の仕分けされていないストックに紙おむつが大量にあったという事例も紹介されました。

会場には、各地域の自治振興会や町内会の代表者も参加されており、積極的な質疑をされていました。

以前、活動レポートにも書きましたが、富山市議会議員7名で新潟県中越地震のボランティアに参加しました(平成16年11月11日〜12日)。その時のメンバーとともに参加しましたが、あらためて当時の記憶がよみがえると共に、防災対策のヒントになることがたくさん詰まった貴重なシンポジュウムでした。

追記

山本氏がNPOを立ち上げと書きましたが、小川氏がNPOを立ち上げの誤りです。お詫びして訂正いたします。立ち上げられたNPOはNPO法人よしたー山古志です。

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