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山王まつりはイベントではなくてお祭りだった。

  • 鋪田博紀

ウエィノの演奏

昨日に帆き続き、夜は山王まつりのお手伝いへ。

特設舞台では、ウエィノの演奏、富山市中島の獅子舞そして獅子絵田獅子が行われました。二日目はお客さんも少ないかな?と思ったのですが昨日以上の盛り上がりを見せていました。

私は私で、「あの頭(獅子頭)はなかなかやるな」とつい真剣な眼差しになってしまいました。

中島獅子

神輿や獅子舞の方々とお話してて思ったのは、「山王まつりはイベントではなくてお祭りだった」ということです。

千石町通り商店街のがんこもん神輿も、イベントとして始まった「裸神輿」に対抗して、「氏子以外にでかい顔させられん」という地元の意地と意気込みで始まったものです。外部にいい刺激を受けたわけです。もちろんそれだけでは人手が足りないので、商店街の常連客や商工会議所青年部の力も借りましたが(彼らとて商店街の常連だったりするわけです)...

でもそこにあるのは、「山王まつり」は俺たち地元の祭りという心意気が核にあるということです。

獅子や神輿をやっていない方には分かりにくいかもしれませんが、まず氏子や地元にとっての祭りというのがベースにあって、そこに観光イベントがあるという、多層を織りなしているのが「山王まつり」であると思うのです。

だから、正直「富山まつり」にはワクワクしないのですが、「山王まつり」は楽しい。自分が楽しむと同時に他人も楽しませることができるワクワク感。

特に獅子舞は長い練習期間があるので余計にそう思うのかな?

さて、舞台が終わって片づけが済んでから、宮司さんの勧めで夕食を頂きました。

本殿奥に入っていくと、氏子の皆さんが食事のお世話をしてくださいました。

生まれて初めて入った部屋で、四方がカーテンで覆われていたのですが氏子の方が、「いいもの見せてあげっちゃ」とカーテンを開けると、歴代天皇陛下の肖像画が壁一面にずらりと飾ってありました。

なんでも、亡くなられた先代の宮司さんがつくられたのだとか...

先代の宮司さんとは、小さい頃にお正月に松尾神社崇敬会(松尾神社神社は日枝神社から宮司をお迎えしています)のお世話をしていた祖父といっしょに、村周りをした思い出や、お孫さんがうちの子供と幼稚園から一緒で、宮司自ら、着物姿でお孫さんを車で送迎されていた姿も懐かしく思い出されます。

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