ブログ

震災へのメッセージ色の強いF1日本グランプリ - F1初観戦記

10月8日、9日に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリを初めて観戦してきました。

今年のF1グランプリの第1戦となったオーストラリアグランプリは、東日本大震災の直後ということもあり、スタート前の黙祷や各チームそしてドライバーが日本と東北に向けた応援メッセージを発信し、マシンには「がんばれ日本、がんばれ東北」というステッカーが貼られるなど、今シーズンのF1は特別な雰囲気の中で開幕しました。

日本人である小林可夢偉選手(ザウバー)がドライバーにいるからでしょうか?日本のメーカーがF1に部品を多数供給しているからでしょうか?

それもあるとは思いますが、それだけではないと思います。

まず、ホンダ、トヨタ、ブリジストンをはじめとした日本のメーカーと関係者が長年にわたりF1に多大な貢献をしてきたことと、中島悟選手をはじめ歴代のF1ドライバーたちがF1界で尊敬を集めてきたことが挙げられると思います。特にホンダは80年代のF1の顔でありましたし、セナらの活躍により、F1のマーケティング上も日本と言う国の存在は欠かせないものとなりました。

また、モータースポーツの世界、特にF1はヨーロッパを中心として動いていますが、その中で日本とういう国の占めるウエイトが決して小さくはないという事だと思います。私たち日本人が考えている以上に、世界における日本の存在は大きいものなのではないでしょうか?

横断幕を掲げるマーシャル
横断幕を掲げるマーシャル

日本グランプリでは被災した日本での開催とあって、各ドライバーからあらためて日本を応援するコメントであふれかえり、ポイントリーダーのセバスチャン・ベッテル(レッドブル)は絆と書かれたヘルメットを着用しレースに臨みましたし、フェラーリの公式スポンサーであるPUMAは「がんばろう日本」と書かれた小旗を無償で入場者に配布していました。

また、スタート前には10万人の合唱と題して、「上を向いて歩こう」を観客全員で歌うイベントもありました。

さらに、バーニーシートと呼ばれるF1界のボス、バーニー・エクレストン氏による被災者のための招待席(バーニーシート)が3千席用意されましたし、恒例の国歌斉唱は、南相馬市の少女らによる合唱団が行いました。バーニー氏からの被災者に対するメッセージも読み上げられました。

さてレースの方は、日本を第2のホームと公言する(ガールフレンドがモデルの道端ジェシカというのは有名は話で、今回もパドックに来ていました)ジェンソン・バトン(マクラーレン)がフリー走行からトップタイムを連発。

予選こそ千分の9秒差でベッテルにポールポジションを奪われたものの、最初のタイヤ交換を遅らせてタイムを稼ぎ見事逆転し、そのままチェッカーフラッグを受けて今季3勝目を挙げました。

バトンは、ホンダのF1参戦第3期という苦しい時代をエースドライバーとして支え、2006年シーズン第13戦ハンガリーGPで、ホンダにとってコンストラクター(エンジン供給だけではなく自社シャーシで参戦)として39年ぶりの優勝、エンジンサプライヤーとしてマクラーレン・ホンダ時代の1992年の優勝、自身も115戦目にして初優勝を果たしました。

そして、2009年シーズンは、前年に撤退したホンダに代わってチームを引き継いだブラウンGPで初の年間チャンピオンを獲得。この時の乗ったBGP001は、本来であればホンダRA109として走るべくホンダが開発を進めてきたものでした。

F1観戦記念撮影
F1観戦記念撮影

兎にも角にも、バトンのTシャツ、帽子、タオルで応援したかいがありました。

一方の、ベッテルもフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)にタイヤ交換のピット作戦で抜かれて3位になったものの、年間チャンピオンをここ鈴鹿で決めました。まだ24歳にして2年連続世界チャンピオンです。あらたな伝説の始まりを予感させました。

ダウンロード

先頭へ