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隠れた名刹国宝妻沼聖天山(埼玉県熊谷市)

聖天堂
聖天堂

埼玉県熊谷市に、(ようてんどう:本殿)が平成24年国宝に指定された妻沼聖天山歓喜院(めぬま しょうでんざん かんぎいん)という名刹があります。

先日、叔母の三回忌で行田市へ訪れた際に、北陸とも少なからぬ縁があるお寺だから見に行こうと誘われるまでその存在を知らなかったのですが...

誘っていただいたのは、父の従弟で行田商工会議所会頭や国際ロータリー第2570地区ガバナーを歴任された鈴木秀憲氏で、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん:埼玉県行田市)の世界遺産登録を目指す会の活動にも取り組んでいらっしゃいます。

実盛公の像
実盛公の像

保元の乱、平治の乱があった時代にこの地(長井庄)を治めた斉藤実盛が建立したお寺なのですが、この斉藤実盛は久寿2年(1155年)に起きた大蔵館の変で、のちに源(木曾)義仲と呼ばれることになるを幼い駒王丸(こまおうまる)の命を助けます。なお、源義仲はこの熊谷からも近い嵐山町の生まれとされています(諸説あり)。

寿永2年(1183年)、平維盛らと義仲追討のため北陸に出陣したものの、倶利伽羅峠の戦いで敗走し義仲軍に追われついに加賀国篠原の戦いで敗北します。

この戦いで実盛は老いた武将と侮られぬように白髪の頭を黒く染めて奮戦するもついに討ち取られますが、首を改めるために池で首を洗わせたところ(石川県加賀市にある首洗池の名はここから)、染めた髪がみるみる白くなり、幼いころ義仲の命を救った恩人実盛だと判明し、義仲人目をはばかることなく泣き崩れ、また、そこまでして勇敢に戦った実盛の武勇を大いに称えます。

実は、実盛の出身地は北陸は越前国であり加賀国篠原は同門一族の支配地であるため、故郷でかつて命を助けた義仲と戦いその生涯を閉じたわけです。

北陸新幹線開業にあわせ、埼玉県、長野県、富山県、石川県が一緒に木曾義仲をモデルにしたNHK大河ドラマの誘致活動を行っているのは、こういった背景もあるわけですね。実盛の出身地を考えると、福井県も誘致活動に参加すればいっそう盛り上がるのではないでしょうか?

ということで、埼玉県といえば「埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)」が有名ですが、隠れた名所として、また富山県とも少なからず縁のあるお寺として紹介させていただきました(ほとんどは鈴木氏の受け売りです)。

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