寄稿文「地方からみた三位一体改革」より
三位一体改革の三位とは?
「三位一体改革」という言葉がマスコミを賑わしています。三位一体改革とは何かについて誌面をお借りしてお話させていただきます。「三位一体改革」というと国と地方のあり方をめぐる改革だろうなと推測はつきますが、そもそも、この三位とは何をさすのかご存知でしょうか?それは、地方分権を進める上で地方の税財政基盤をしっかりさせるためのメニューとして、
- 財源移譲
- 補助金改革
- 交付税算定の改革
の3つがあることから三位と呼ぶわけです。
それではこの3つのメニューはそれぞれ何を意味するもなのかについて考えてみたいと思います。
財源のギャップ
税源移譲とは国が集めていた税を地方に委ね、地方の裁量を増やし地方独自の行政サービスが行えるようにしましょうというものです。
図1は平成14年度における国と地方の財源配分をあらわしたものです。平成16年度では暫定ながら一部の基幹税の税源移譲が始まりましたので必ずしも最新のものとはいえませんが大枠はおわかり頂けると思います。
つまり、国・地方合わせて国民へのサービスを約151兆円行っていますが、歳出ベースでの地方と国の割合は3対2。いっぽう歳入ベースでは2対3と逆転していますので、そのギャップを直すために地方交付税や国庫支出金(以下単に「補助金」と呼ぶことにします。)というかたちで国から地方に支出することで国民へのサービスを提供していることがおわかりかと思います。これを提供しているサービスに見合った財源を国から地方へ渡しなさいというのが税源移譲の考え方です。
ただ、国がナショナルミニマム、つまり国民が全国どこにいても最低限の均一なサービスを受けるためには必要な面もあり、そのようなサービスを提供するのは国の義務ですしそれを一方的に地方へ押し付けるのは国の責任放棄ですから、地方交付税や国庫支出金がすべて悪いこととはいえません。今回の改革では、どこまでが国が負うべき義務でどこまで地方が負うべき義務なのかといった国と地方のあり方が問題なのであって、一方的に補助金が悪といったワイドショー的な見方には注意が必要です。
もう一方で、約79兆円の税収で約151兆円のサービスを提供している。つまり足りない分は国債などの形で借金をしてサービスを提供していることがわかります。
もう一つ問題点を挙げるとすれば、中間に地方交付税や補助金の仕組みがあるために、地方において受益と負担の関係が薄まりその結果、歳出の増加に歯止めがかからなくなるという指摘もあることを付け加えておきたいと思います。このことは地方分権を考える上で重要なポイントだと思います。
補助金とは?
補助金というと何かと槍玉にあがっていますが、正確には国庫支出金といい法律上は、(1)国庫負担金、(2)国庫委託金、(3)国庫補助金、の三つに分類されます。図2に補助金をまとめてみました。ちなみに省庁は税源移譲と国庫負担金の削減の見返りにこの負担率の引き下げを提示しており、このことが地方の反発を招いています。また、今注目を集めているのが義務教育費国庫負担金の削減です。
(1)国庫負担金 | 国が義務的に支出しなければいけない※国の負担割合が法令で決められている | (a)一般行政費国庫負担金 | 義務教育、生活保護費、児童手当など |
(b)建設事業国庫負担金 | 道路・河川・港湾等の土木施設、公営住宅、児童福祉施設などへの建設費用 | ||
(2)国庫委託金 | 国政選挙・国勢調査など地方が国の委託を受けておこなうもので地方の負担義務はない | ||
(3)国庫補助金 | 奨励型補助金 | (a)国が政策上特定の施策を推進・奨励するために交付 | |
財政援助的補助金 | (b)財政上特別の必要がある場合に交付 |
補助金の問題点
いずれにしても補助金は国の関与が大きく支出にもいろいろな基準・制約があります。例えば、山の中に生活道路を作るのにも、補助金を受けて作ればその基準を満たすためにやたら広くて地方が望むものより立派な道路が出来てしまうというのは象徴的な事例でしょう。また、支出目的が国によってはっきり決められていて地方の裁量の余地がありません。
このように住民に一番身近な地方が地方の実情にあった住民サービスの提供に国が必要以上に関与することで、非効率で真の住民サービスの提供に繋がらないことが第一の問題点です。また、アメリカから内需拡大を迫られたときに、補助金を使って地方が望む以上の施設(いわゆるハコモノ)を作らせ、これらが全国津々浦々に乱立しましたが、その後の政策転換でスッパリ止めさせられその結果過大な借金を地方が抱えてしまうなど、国の政策に地方が振り回されたことが今日の財政危機を招き、市町村合併を含む今回の地方分権は国政失敗のツケを地方にまわすことだとの批判があることはご承知のとおりです。
地方にも責任はありますが、地方に対してニンジンをぶら下げ「はやく食べないと隣に取られてしまうよ」といった政策と、図3にあらわしたイメージのように実際にはそのニンジンの代金全部を国が補助してくれるわけではなく、一定割合は地方の負担となり、財源の乏しい地方は足りない分を借金することになり、その借金も後々国が交付税などで面倒を見ますというしくみが、先ほども述べたとおり受益と負担の関係が薄まりその結果、歳出の増加に歯止めがかからなくなるという構造にも問題点があります。
さらに、今回の改革の中で交付税の算定の見直しも含まれており、当初の約束どおりに国が面倒を見てくれるのか不透明になっていることが、地方の反発を招いています。
交付税の問題点
交付税の目的は財政力にかかわらず全国どの自治体でも均一な住民サービスが提供できるように、国が財政的に自立できないな自治体に対して、財政的な調整を行うためのものです。「ひもつき財源」と揶揄される補助金に比べ比較的地方の裁量権が大きいとされていますが、実は先ほどの表3にもあったとおり補助金との組み合わせで国が深く関与するケースがみられます。
さて、交付税はどのように決められるかというと次の算式によって決められます。
交付税額=基準財政需要--基準財政収入
基準財政需要額というのは標準的な住民サービスを提供するのにかかる経費を一定の算式によってはじき出したものです。
例えば小学校の教育予算については、児童数・学級数・学校数から算出できます。図4はそれをイメージ化した図です。それぞれの項目ごとに必要な単価と数量を掛け合わせて積み上げたものが基準財政需要額です。一方、基準財政収入はある自治体が標準的に見込める税収などをさし、この差額が交付税として支払われます。いずれにしても、政策の目的ごとに支出が決まっており、ここでも国のコントロールがあることに注意しなければいけません。
三位一体改革の現状と今後
以上のように、国のコントロールが強い補助金・交付税を削減ないし見直して地方に財源と裁量権を移し、地方の自立を図るために三位一体改革がまとめられつつあるわけです。
もっとも、この背景には700兆円にも膨らんだ国・地方ともにどっぷりつかった借金体質を改革しなければいけないということがあります。
呉越同舟、異夢同床のなかで改革のスタートをきったわけですが、当初の予定に対しどのように進んでいるか図6にまとめてみました。
国の示したプランで徐々に税源移譲や補助金改革が始まっていますが地方から見ると、
- 移譲額と削減額のバランスが取れていない、つまり補助金の削減が先行している
- 今後移譲される税源について具体的になっていない
- 交付税が一方的に削減されているために体力のない自治体の切り捨てにつながることが問題となっています。
一方国から見れば、
- 税収が減少しているなかでない袖は振れない
- 税源を移譲して本当に効率的な行財政運営が地方に出来るのか?
- 既得権益は守りたい
- 国行ってきた事業の借金(国債)だけを国に残して、おいしい中身を地方に渡していいものか?
といった指摘があります。
15年度 | 16年度 | 17年度以降(麻生プランから抜粋) | |
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税源移譲 | 自動車重量譲与税の譲与割合を1/4から1/3へ(930億円) | (1)18年度までに所得税から個人住民税へ移譲 (2)暫定的な税源移譲として譲与所得税を創設(4,250億円) |
所得税から個人住民税への本格的な税源移譲の規模(約3兆円)・内容(10%比例税率化)を「先行決定」 |
補助金改革 | 総額5,600億円を削減 | (1)総額1兆300億円を削減 (2)恒久的な一般財源化(児童保護費等負担金など) |
平成18年度までに、平成16年度の1兆円に加え残り3兆円の国庫補助負担金改革を確実に実施 |
交付税改革 | 交付税総額の見直し(▲7.5%) | 交付税総額の見直し(▲6.5%) | 平成17年度の地方税、地方交付税等の一般財源総額は前年度と同程度の水準に |
まとめ
数字だけ眺めていると、国と地方がつじつまを合わせているだけのように見えてしまいますし、実際どちらサイドから見てもそのような議論ばかりに明け暮れている感があります。
お互い借金をかかえた身で、これから税収増ものぞめないなか、この改革を国と地方の関係だけにとどめておいていいものか?私達住民(国民)も「財政悪化は政治・行政のせい。今までどおりのサービスを受けて当然。不可能なことを可能にするのが政治・行政の役目」と言ってみたところで、そのツケは結局住民自身にふりかかってきます。