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私にとっての韓国その1

  • 鋪田博紀

板門店(平成17年訪韓時)
板門店(平成17年訪韓時)

韓国からの観光(正確には旅行会社など)客への助成金がきっかけになって、県議会時代のエッセイ「韓国と私」で、日本海を「東海」と書いていたことが広まり、最近ネットで森市長がバッシングされいるようです。

この件では私にもメールやTwitterでお問い合わせなどをいただきましたし、親しい方には直接お返事いたしましたが、それ以外の方にはここで書かせていただきます。

どのような思いで書かれた文章であるかはご本人のみぞ知るところですが、括弧つきで「東海」と書かれているので、行間を読めば意図がわかると思います。

日本海を東海と書く保守政治家がいるか?との意見もあるようですが、誰よりも熱心に教科書問題に取り組んでいたことや、議会での発言などからすれば、やはり保守政治家といえるでしょう。

いち韓国ファンとしてのエッセイくらいにとらえておいた方がよいかと思います。

韓国で政治家や芸能人・スポーツ選手・文化人・学者が、「日本のここが好き」と発言したとたんに、マスコミやネットで「売国奴」と叩かれ政治生命・芸能生命を絶たれるのを見て、「やはり韓国は異常な国」と感じる光景を私たちはよく見てきたと思います。

何をもって保守政治家と定義するかは議論のあるところですが、ここは冷静に対応したいものだと思います。

ところで私も韓国文化に惹かれている一人です。

小学生のころから日本史とりわけ古代における日本・朝廷・天皇の成り立ちに興味があったものですから、自ずと、周辺諸国である朝鮮半島・中国大陸の歴史や文化にも興味がわいてきました。

また、当時私にとってヒーローだった巨人軍のエース新浦寿夫(現、新浦壽夫)投手が在日韓国人(現在は日本に帰化)だったことや、サラリーマン時代の親友が在日朝鮮人だったことも、韓国を身近に感じる一因になりました。

一番好きな女優はイ・ヨンエ(李 英愛 이영애)ですが、「JSA」という、板門店(最初の写真)で実際に起こった国連軍と北朝鮮軍の衝突事件をヒントにしたといわれる映画に出演していたのがきっかけで、以後彼女の出演作は欠かさず観て、DVDも購入するようになりましたし、私自身、板門店は二度訪れています。ちなみに「チャングム」で話題になる随分前です。

なお、韓流ブームとは無関係だったので、ほかの俳優や映画・ドラマはあまり存じ上げません。とは言えこの作品には、イ・ビョンホンやソン・ガンホも主演していました(後になって有名な俳優だと知りました)。

あと最近は、K-POPの「KARA」がお気に入りで、昭和50年代から60年代初頭のアイドルを見るような懐かしさがあります。ただしこれも他のグループはよくわかりませんし、日本のAKB48などのアイドルにも興味が湧きません(というよりKARAの5人を覚えるのが精一杯というのご正直なところです)。

景福宮
景福宮

さて、次の写真は今年6月に訪れた景福宮(キョンボックン)の国王が国事を行う勤政殿です。
かっては朝鮮総督府の立派な庁舎があり、1995年まで国立博物館として使用されていましたが、1995年に解体され、光化門(クヮンファムン)をはじめとする建物群の復元工事が進んでいます。

旧朝鮮総督府庁舎が移築されていれば一級の文化財になったでしょうが、仮にGHQが皇居内の建物を取り壊し、豪華なGHQ庁舎を建てていたなら我々日本人はどうしたでしょうか?

それはさておき、光化門と興礼門の間の広場では、衛兵の交代儀式を見ることができますし、敷地内の国立民族博物館と国立故宮博物館も必見です。また、時間があれば国立中央博物館や戦争記念館も見るべきでしょう。

戦争記念館
戦争記念館

写真は戦争記念館の入り口です。

この日は、戦没者などを追悼する国民の祝日で、戦争記念館の敷地内には戦車や爆撃機、戦闘機はては軍艦まで屋内展示されていて、家族連れを中心に賑わっておりましたが、ふと入り口わきの戦没者の名前が刻まれた銘板の前でお弁当を広げる家族連れに目が留まりました。


戦没者名簿
戦没者名簿

どうやら、銘板に刻まれた戦没者の家族が先祖を偲んで、一緒に食事をとる姿でした。銘板には主に朝鮮戦争やベトナム戦争で戦死した兵士の名が部隊ごとに刻まれています。

これは、記念日でなくともよく見られる光景のようで、お墓でもないところで故人と対話するというのは、靖国神社や護國神社で終戦記念日や例大祭の日にみられる光景と重なります。

また、銘板の下には、朝鮮戦争の戦没者名簿が置かれてありました。

戦没者の銘板
戦没者の銘板

以下、「私にとっての韓国その2 日本人こそ独立記念館を見るべき」へ続く

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