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JR富山駅前で公共交通について考えてみた

JR富山駅前での街頭遊説

1月20日は久しぶりにJR富山駅前での早朝街頭遊説を行いました。

朝の遊説は掛尾などの主要交差点がほとんどで、JR富山駅前も夕方の遊説ばかりで、通勤客が行き交う場所での遊説は新鮮でした。また、市内電車へ乗り換え客も多く、電停のホームはつねに満員で、自動車が中心の生活では気づかない公共交通の果たす役割の大きさもあらためて認識しました。

この4月からは市内電車でもICカードの利用が可能になりますし、バスでの利用も市内中心部を走る路線から順次拡大してゆきます。ただ単に「環境のためにも公共交通を利用して!」と呼びかけても実際に便利だと思わなければ誰も利用しないでしょう。

議会での私の質問に対する答弁でも、セントラムは沿線住民を対象にした公共交通機関でないことは明らかです。一方でこの経済情勢と財政の中で一足飛びに路線拡大を目指すのは無理があり、今回の1キロ足らずの環状線はあくまでも「公共交通の復活をこれから進めていくのだ」というシンボルなのだと理解しています。

もちろん今でもこのルートには疑問がありますが、先ほど書いたように、ICカード利用の拡大や、割安感のある乗り継ぎ運賃の設定など、利用して便利だという実感をもってもらえるようなシステムの構築を引き続き行っていきたいと思います。

昨日今日と長寿会の新年会が続いています。

その中である高齢者(とはいえ現役バリバリの方ですが)から、「本当を言えばもう自動車の運転はしたくないんだ」というお声を聞きました。

数年先には運転者の数も減少に転じ、仮に経済が上向いても、自動車の数は確実に減るでしょう。というより、「移動したいけど自動車には乗りたくない・乗れない」層が確実に増えるでしょう。そんな社会への対応を今からやっておかないと、大変なことになるのは間違いないと思います。

また、電気自動車の本格普及は自動車そのもののありかたを大きく変えるような気がします。

僕らの青春時代には移動の道具だけではなく趣味性もあり、高度成長の生活・文化レベルの証であり、高度で複雑な技術の塊である今の自動車の存在が、モーターとバッテリーがあれば誰でも作れる道具(例えば今のパソコンはまさにそうです)に代わるでしょう。

大げさかもしれませんが、2010年代は現在の公共交通を含めて、人が移動するシステム大きく様変わりする予感がします。

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