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体罰問題について指導者として思う事

  • 鋪田博紀

街頭遊説(H25.1.18)
街頭遊説(H25.1.18)

大阪市立桜宮高校での体罰をめぐる問題について様々な意見が出されています。政治・行政サイドでもこの問題を取り上げて解決策を探ろうとしています。

1月は新年会が多く、参加者の中には少年スポーツの指導者や保護者もいらっしゃり、この問題についてもいろいろお話させていただきました。

私は、評論家でなく小学生のドッジボールチームの監督として、また獅子舞で指導者として活動している立場から思う事を少し書いておきます(同じようなことを街頭でもお話しています)。

私の立場では体罰は否定しています。それは指導する対象が小学生であることと、キャリアパスとしてのスポーツではないからです。

約10年間小学生のドッジボールチームの指導をしていますが、チームの目的がスポーツを通じた健全育成の場であり、チームに所属している期間に少しでもチームスポーツの良さや楽しさを味わって中学校へ送り出したいと考えているからです。

練習では気持ちが緩んでいると怪我に繋がったりことがあるので、厳しい言葉で指導をすることはあります。試合でも気持ちを鼓舞するために大きな声を出すこともありますが、子供達を叩いたことはありませんし、罵るような言葉を吐いたこともありません。意識して慎んでいます。

ただ、スポーツではないのですが、獅子舞を復活させたときに自分の長男を踊り子として指導した時は、我が子を叱ることで他の子に私の言うことを聞かせようとして、体罰を加えたことがありました。

「私は師匠で、子供は弟子」という勘違いを起こしていたのですね。長男はトラウマになったようで、小学生の踊り子を卒業して以来、獅子舞には参加しなくなりました。

3月から始まる獅子舞の練習に来ていただくとわかりますが、小学生の練習はまるで託児所の様です。これではしっかりした踊りが身につかないという先輩もいらっしゃいますが、丁寧な指導をすれば勘のいい子は上手くなっていきますし、その子がほかの子を引っ張っていきます。

ドッジボールでも同じことが言えます。このポリシーは変えるつもりはありません。

もう一つ体験からくる信念みたいなものがあって、私は体育が大の苦手です。それが、大人になった今でも、ドッジボールだのソフトボールだのと活動しているのは子供の頃の体験が大きいのです。

バレーボールのオーバーハンドパスは顔面で受ける。サッカーではできるだけボールのかないところにいる。バスケットのドリブルではトラベリングが気になって足がもつれてしまう。そんな私でも野球が大好きでした。

小学校のころからチームを作って、中学校では野球部をドロップアウトした友人や、野球が好きでもあまり運動が得意ではない友人とチームを継続し、30歳近くまで草野球チームをやっていました。

部活動が終わった中学校の校庭で、仲間同士で知恵を出し合って練習法を考え、ボールが見えなくなるまで練習に明け暮れました。大人の指導者は誰もいません。チーム全員が指導者で生徒でした。そんな体験が、指導者となった私のポリシーを作り上げています。

表題に戻ります。

チームの活動が生徒にとってキャリアパスになる場合とそうでない場合。つまり広義のプロ(プロ選手と言うだけではなく、アマチュアトップアスリートでも)につながるかどうか?でも指導法にはは自ずと異なるでしょう。

件の事件では、体罰だけが生徒を自殺に追い込んだかどうかは定かではありません。ニュースだけではそこまで判断しかねるところです。体罰と暴力・虐待の境目は曖昧です。手を出さなくてもシゴキや言葉による暴力もあります。選手の置かれた待遇を悪くすることで追い込んでしまうこともあるでしょう。

トップアスリートを養成する場合は、様々な指導法の中での体罰による効果を全く認めないわけではありませんが、その場合は、メンタルケアも併せて行うととと、科学的な指導法の確立を強く望みます。

トップアスリートの道を歩んできた人にしかわからない世界もあれば、私のように運動音痴が体験してきたスポーツの世界もあり、この問題から一つの答えを導くのは大変困難であります。

ですが、少なくとも学生・生徒・児童の間は、選手をふるいにかけるのではなく、伸びる選手を引き上げるようなスポーツ環境がつくられれば、日本のスポーツ界の底辺をもっと底上げできる気がします。

今、自分の立場で言えるのは、辛い気持ちより、楽しいと感じる気持ちが上回れば、困難を乗り越えられると思いますので、どんなときでも「スポーツって楽しい!」と思える子供を送り出せたらと願って指導していきます。

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