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布瀬町獅子舞について(由来や特徴)

  • 鋪田博紀

男獅子
男獅子

布瀬町獅子舞保存会では、毎年4月29日(昭和の日)に町内の松尾神社を皮切りに町内10数カ所にて獅子舞を奉納・披露しています。

お問い合わせをいただいたので、由来や特徴について書かせていただきます。


起源


獅子舞の様子

布瀬町の獅子舞は諸説ありますが、江戸時代の後期、越中の国富山藩上新川郡堀川村布瀬字大野というところに高安家がありました。高安家は富山城主が鷹狩りにきて休息をとられていたという家柄です。その高安家から村の若い衆に五穀豊穣・秋の収穫を祝うために獅子頭を買いあたえたのが始まりだといわれています。

昔は、家々にのぼりを上げばん頭(四角い提灯)をつけ一軒一軒家に入り朝まで舞っていました。紀元2600年記念祝賀では、提灯などで飾った荷馬車と一緒に富山市内を練り歩いたそうです(そのために市電を止めていたそうです)。

また、終戦直後には護國神社で獅子舞の競演会がありよく出ていたそうです。激しく頭を振る男獅子はあばれ獅子として有名だったそうです。

獅子舞は、村内の若い衆一青年団と受け継がれ、昭和54年には保存会が発足し昭和57年ころまで青年団にかわって定期的に奉納していましたが、神社の改修や公民館改築といった特別な年にしか奉納することがなくなり、しばらく途絶えます。

平成7年に現在のメンバーを中心に獅子舞を復活させ、毎年奉納するようになりました。

特徴

獅子舞の系統としては、飛騨古川に伝わる二人立ちというスタイルがルーツとも言われて、旧堀川村(現在の堀川校区、堀川南校区そして布瀬)や黒瀬、蜷川校区、太田校区など旧富山市南部地域一帯に同様の獅子舞が見られます。当時布瀬町は堀川村の一部でしたが、旧堀川村のうち現在の堀川町、掛尾町、太郎丸、今泉などでも現在盛んに獅子舞が行われています。

布瀬町獅子舞の特徴は、旧富山市南部地域一帯の主流である二人立ちの獅子のほかに、4人(昔は6人)で舞う「百足(むかで)獅子」がいることです。二人立ちの獅子を男、百足獅子を女に見立てた「夫婦獅子」というわけです。また、他地域でみられる踊り子の手踊り(道具を使わない踊り)がないことや、踊り子が腰をかがめて踊るのも、布瀬町獅子舞の特徴です。昔は獅子討ち役の天狗のようなものも居たそうです。

百足獅子は、富山県西部に多くみられる特徴的な獅子舞ですが、なぜ布瀬町の獅子舞に飛騨古川系統の獅子と県西部の獅子がミックスされているのかはよくわかっていません。対岸の婦中地域では砺波地方から伝わったともいわれる百足獅子が中心(一部に二人立ちの獅子の獅子舞をおこなう集落がみられる)であることから、婦中地域から百足獅子が伝わった可能性もあります。

男獅子の頭は練習によって激しく痛んだため、後に新しく購入しています。女獅子の頭については、大水がついた神通川より流れて来たものを練習に使用していたため、江戸後期に買いあたえられた頭の痛みの方は少なく、現在でも修復を行って使用しているため、男女それぞれ二頭ずつ獅子頭があります。

神通川の由来について、布瀬町の松尾神社と対岸の婦中町鵜坂神社の間を、神通川を渡って行き来したという伝承があることや、練習で使っている獅子頭について、神通川が氾濫したときに対岸の婦中から流れ着いたという伝承は興味深いところです。

平成28年4月

文責 鋪田博紀

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