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宗教(靖国、仏教、お寺の話)

  • 鋪田博紀

13日は妻の実家とお墓、母親の実家とお墓を訪ねる。

お昼過ぎに帰宅し法話を聞きにお寺へ。我が家のお寺(浄土真宗)の若住職は小・中学校の一学年先輩で、法話に定評があり門徒以外の方もお見えになる。私自身は凡夫の典型でまだまだ阿弥陀如来のお声が聞こえる境地にはいたっていないが、若住職の話は心にすっと入ってくる。

ところで、8月15日は小泉首相の靖国参拝でやかましくなるだろうが、真宗の門徒からすると、「神道っていわゆる宗教なのだろうか?」と疑問が湧いてくる。

獅子舞(神社とは切っても切れない関係)をやっていることや、近所に村の鎮守、松尾神社(お酒の神様で、かっては県内中の造り酒屋から寄進があったそうです)があり氏子としてお世話をすることがあるので、私自身は同年代の人々と比べると神社に行く機会が多いだろう。仕事柄(現在は不動産業、かってハウスメーカー勤務)、地鎮祭も多く経験している。

が、宮司さんから宗教的な話を聞いたことがないし、ただただ神社には安全などのお祈りをして、あるいは宮司さんからお祓いを受けるだけである。

真宗の門徒といいながら、実は幼稚園はプロテスタント系で二人の子どもも同じ幼稚園であったり、親戚が大きな修道院の修道女だったりするので、キリスト教に接する機会も多く、その意味でも神道というのは宗教とは違うのではないかというが実感あるのです。

ただ、この場合は外国から入ってきた「religious」の訳語としての「宗教」という言葉との感覚のズレなので、当たり前と言えば当たり前なんでしょうが・・・

この違いと言うのはいわゆる「宗教」は「教義」がはっきりしていて、宗祖と呼ばれる人が直接ないし間接に「教義」を伝えるものなのに対して、「神道」は自然(または人ないし神様)への感謝とか恐れを行動様式であらわすものなのでは・・・

などと考えてみましたが、これはもう少し勉強して書くべき内容でしたね。

しかし、靖国問題も「宗教」というものについて基本的なところから考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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