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一人の天才少女がフィギュアスケート界を震撼させた

また、フィギュアスケートネタで申し訳ありませんが、バンクーバー五輪フィギュアスケートエキシビジョンが終わり、フィギュアスケートの全ての日程が終了しました。今回を振り返って思ったのは、「一人の天才少女がフィギュアスケート界を震撼させた」ということ。

そしてその天才少女とはキム・ヨナ選手ではなく、浅田真央選手です。

15歳にして、伊藤みどりの引退以来、誰もが忘れ去っていた女子ではありえない大技トリプリアクセル(3A)を武器に、トリノ五輪を控えた2005年-2006年シーズンにシニアデビュー。エリック・ボンパール杯ではサーシャ・コーエン選手(米国)、グランプリファイナルではイリーナ・スルツカヤ選手(ロシア)いった、五輪の金メダル最有力候補達を打ち負かした浅田選手の登場は、フィギュアスケート界を震撼させたことでしょう。

しかも、3A以外の要技術も高いレベルを持っている、女子フィギュアスケート界にとっては、「パンドラの箱」「アンゴルモアの大王」だったかもしれません。

「これはわるい冗談だ、悪い夢を見ているのだ。そうに違いない」「五輪で本気で勝つならいずれ3Aなんてやらなくなるさ」「成長して体格が変われば3Aなんて跳べなくなるさ(これは妻の受け売りですが)」という会話が交わされたかどうかはわかりませんが、そういう状況だったのではないでしょうか?

それでも、普通に女子の競技が成り立つように、若干のルール変更を加えるなど、一応、ささやかな抵抗を試みてはいますが...

そして、浅田選手自身もその影響の大きさを本当は理解していなかった。だからこそ4年間3Aを愚直なまでに追い求めたのではないでしょうか?

ところが、事の重大さと問題の本質に気付いたと同時に、その攻略方法について可能性を見出していた人達がいた。それが「チーム キム・ヨナ」だったのではないでしょうか?戦略を立てる能力のあるブライアン・オーサ コーチらスタッフと、それを遂行できる可能性をもったヨナ選手。

そして、このチームの任務遂行がもうひとつの「パンドラの箱」を開けてしまった。

今回の五輪は、浅田選手が2005年-2006年シーズンにシニアデビューした時から戦いが始まっており、順位は別として、金・銀メダルはこのどちらかが手にすることが決まっていた。

二つ目のパンドラの箱が開けられた今、女子フィギュアスケート界はどのようにしてこの状況を乗り越えていくのでしょうか?

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