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政界の重鎮、力示健蔵さん亡くなる

  • 鋪田博紀

政界の重鎮である力示健蔵さんが亡くなられました。

私が平成14年1月の富山市議補欠選挙に急遽出馬することを決意したのが、平成13年の12月も半ばにさしかかろうとした時期。自民党市連に決意を伝えた翌朝連れて行かれたのが、当時市連支部長だった力示さんのご自宅でした。

市議選挙に出るくせに、市議会議員とのお付き合いがほとんど無かった私にとっては、まさに市政の重鎮であり伝え聞く噂だけが頭の中を駆け巡っていました。

が、初めてお顔をあわせてみれば、ただニコニコしながら、「うん、君が鋪田君か。君を当選させるのが僕の仕事だ」とのお言葉。

会派の運営や合併を巡る方針の違いから会派を割って新会派を作ることになり、力示さんの前で「あなた方とは一緒に出来ません!」と、威勢よく啖呵を切ってホテルの会議室を飛び出したのが、平成15年4月の2度目の選挙が終わった直後でした。

言わば大先輩の顔に泥を塗ってしまったようなものですが、会派分裂後も頻繁に食事に誘っていただき、ご自身が若かりし頃同じような行動をとられた時のお話をよくされたものでした。同時に会派を割って出た私達の意見や愚痴にもよく耳を傾けてくださいました。

テーブルの上では喧嘩しながら、その下では握手をすることもできる、また、その逆もできる、懐の広い本物の政治家でした。

昨夜の通夜には大勢の方が参列されていましたが、おそらく敵対していた方々も大勢その死を悼みいらっしゃっていたのではないか?そんな気がします。

最近の市政ではこういう芸当のできる政治家は私を含めほとんどいないことに、力示さんの死を前にして改めて思いました。また、今日の本会議での意見書や請願に対する我が会派の対応について、力示さんならどう対応されたか?会派構成員として痛烈に反省をした次第です。

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