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街なかは青春そのものだったなぁ

  • 鋪田博紀

先日あるメディアから取材があって、インタビューに答えました。テーマとしては中心市街活性化を中心にまちづくりにおける行政、議会、市民(商業者を含む)の関わりなどについてでありました。

身内の不幸が続き、気持ちがのらないなぁ~と考えつつも、せっかくいただいた機会なのであれこれお話さてていただきました。

あなたにとって中心街とは?という質問をいただいて、いろいろ思い出しました・・・昔の自分と街なかの関わりについて。

小学校区に千石町通り、中学校区に山王さんや中央通りや太田口通りがあったので、遊びの中心軸が街なかにあつた。

小学校高学年から中学校にかけては、一番町の愛児堂の模型コーナーか諏訪川原の今井模型店にいりびたり、たまに総曲輪小学校の東側にあったヤッパー(富山のハンバーガーショップのはしりで)でコーラにハンバーガーなんていうちょっと都会気取りなこともしていたなぁ。

学ランはマツヤでちょっとワルっぽいのを買ったり、生まれて初めてリーバースのジーンズを買ったときは初めて手にしたブランドものっていう感じ?でしょうか。

高専時代は総曲輪通りの「岩田楽器店」(楽器・レコード)にほぼ毎日入り浸って(店長が高専OBだった)、バイトもたまにしていたのでそんな時は「チェリオ」か「新とんかつ」でランチ。店員さんたちともあちこち遊びに行ったり。4年生になって高校へ行った友人たちが就職してからは、山王さんの近くにあったパブ「ちゃっぷりん」に入り浸っていたのも青春時代のよき思い出です。

ロッテリア総曲輪店でもちょっとだけバイトしてました(ここも高専生のバイトが多かった)。

残念ながら「岩田楽器店」が閉店してからは駅前の「No.1」というレコード・楽器屋さんへ拠点を移動しましたが、そこもしばらくして閉店し、楽器部門のかたが設立した「MAX」という三番町の楽器屋さんが現在のホームタウン。

ライブのほうは中教院となりの「ARTIST」で現在も活動中。

考えてみると、音楽関係を中心に、街なかは青春そのものだったなぁ。そして今でも。

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