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mixi(ミクシー)とNIFTY-Serve(ニフティー・サーブ)

自民党青年局・部役員会

5月10日は自民党県連で会議・会議・会議・・・・・・

まずは、女性部・女性青年部と青年局・青年部の合同執行部会で、久しぶりの開催となる女性局との合同行事についての打ち合わせ。その後昼食をとりながら、IT委員会でメルマガについての打ち合わせ。そして午後からは、青年局・青年部合同役員会を開催し、今年度の活動や総会についての打ち合わせと、フェロー制度やメルマガについての打ち合わせ。

たまたまSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の話になり、「mixiにだれも招待してくれない」と発言したら、滑川市議会議員の高木悦子さんから招待メールが届きました。

ご存じない方のために説明すると、日本を代表するSNSであるmixi(ミクシ-)は参加者から招待がないと入会できない仕組み(GoogleのGmailも以前はそうでした)です。

SNSについては、Geeklog(ギークログ)というCMS(コンテンツマネージメントシステム:簡単に言うとウェブサイトを作成管理運営するプログラム)のSNSとかMySoundというヤマハ系のSNSとか、この指とまれという学校SNSとか目的別ものしか利用してこなかったので、mixiのような総合型というかコミュニティーそのものが目的となったものは今回初めてでした。

ところで、かつてNIFTY-Serve(現在はインターネットプロバイダーの@niftyとしてインターネットサービスのみとなり、パソコン通信は2006年3月31日に完全終了)というパソコン通信のサービスがありました。

これは、富士通と日商岩井が出資してつくったニフティ株式会社の有料会員制パソコン通信サービスで、私も1990年代はじめころから利用していました。同時期にはNECが運営するPC-VAN(現在はインターネットプロバイダーのBIGLOBE)、アスキーが運営するアスキーネット、米国のCompuServe(その後、同業のAOLに買収され子会社化)などの商業パソコン通信のほか、草の根BBSと呼ばれた非商業のものも数多くあり、現在のIT社会につながるネットワークの基礎を築きました。

また、これらのサービスの中心はフォーラムとかSIGと呼ばれる掲示板(BBS)で、さまざまなテーマでフォーラムが作られ、今の2ちゃんねるのような総合型掲示板の原型とも言えるのではないでしょうか?

当時はモデム(今でもノートパソコンには内臓されているものもありますが)と呼ばれるアダプターと電話回線を介して通信していました。速度も2400bps、9600bps、14400bps、28800pbsと徐々に速くなっては行きましたが、現在の100Mpbsに比べると、テキスト(文字)情報のやりとりとはいえ、初期のころは相当に忍耐力を要するものでした。

インターネットしか知らない皆さんに理解していただけるように説明するのは大変難しいのですが、それぞれ目的や関心があるフォーラムに参加するので、フォーラムごとに参加者が作り上げた独特の文化があり、またNIFTY-ServeとPC-VANでも文化の違いがありました。また、ソフトウエアの貴重な公開場所でもありました(現在でもつかわれている有名なフリーウェアやシェアウエアはたくさんあります)。

私はパソコンや、プログラムのほとんどをパソコン通信で学びましたし、全国には模型や音楽のフォーラムを通じて多くの友人を得ました。また、ネット上だけではなくオフ会と称してその仲間たちと直接出会いコミュニケーションをとることもパソコン通信の魅力でした。

少し前までは、この富山で中島みゆきフォーラムの仲間が全国から集うオフ会も毎年開催されていました。

NIFTY-Serveのインターネットへの移行により最終的にはフォーラムも閉鎖されてしまいました。

今のSNSの盛り上がりを予見できていたならば、閉鎖ではなく別の形でインターネットのコミュニティーサイトとして残っていたのではないか、そうすれば当時の貴重な資産(知的なフォーラムのやり取りはそのまま大きな集合知として十分価値があると思います)も散逸しなかったのにとの思いもあります。

現在もフォーラムを継承するかたちでfolomyという自主サイトがあるようですが、フォーラムの閉鎖はなんとも残念な気持ちでした。「これからmixiとかで新しいコミュニティーに参加すればいいじゃないか」との声も聞こえてきそうですが、文化の連続性というのはネットワークの重要な要素ではないかと反論したくなります。

今加入しているSNSもあまり積極参加していませんが、せっかくmixiに登録できたし、あらためてネットの波を泳いでみようか!

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