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ダム建設の是非- 蒲島知事の見解から

  • 鋪田博紀

ダム建設の是非について国民の関心が集まっています。

川辺川(熊本県・川辺川)、八ッ場(群馬県・利根川)の両ダム建設中止を政府が表明したことから、前原国交相のダム建設中止に対する説明責任が波紋を呼んでいるわけですが、川辺川ダムについては昨年9月の熊本県議会における蒲島郁夫熊本県知事(この年の4月に就任)の見解が、私には丁寧な説明となっていると感じたので、かなり長いのですが、全文を転載いたします。

当時の県知事選挙の背景もからんで、第3者として簡単に物申すわけにはいきませんし、蒲島知事の議会での見解にすべての関係者が納得しているわけではないでしょうが、政府そして前原国交相には、ダム建設中止ありきで臨むのではなく、蒲島知事のような手順と丁寧さを求めたいと思います。

川辺川ダムについて - 熊本県庁

川辺川ダムについて
更新日:2008年9月11日
平成20年9月定例県議会において
1. はじめに

 川辺川ダム問題に関する私の見解を申し述べます。

 熊本県政は4月16日、夢に向かってスタートを切りました。「大きな可能性を爆発させ、『躍動し、飛躍する県』に変えていく、そして県民の幸福量の最大化を目指す」というのが蒲島県政の夢です。

 そのために、どうしても解決しなければならないのが、川辺川ダム問題です。ただ、ダム問題の本質を理解することなく、拙速に結論を出すことは無責任であるとの思いから、選挙中、他の候補者の方々がダム建設反対を表明される中で、半年間の猶予をいただき、9月議会において、私の態度を表明することを県民の皆様にお約束いたしました。

 私にとってこの数ヶ月間は、極めて貴重であったと同時に、苦悩に満ちた時間であったと、いま改めて思います。それは、この問題が、人命の危険や、自然・環境に対してどう向き合うのかという人間社会のあり方を問う、極めて今日的な問題であり、言い換えれば、その選択のいかんによって、これまでの政治や行政のあり方を根本的に変えることになりかねないほど難しい課題であるということを、今、心から感じているからです。

 そして本日、決断の時を迎えました。ダム計画発表以来42年、これまでこの問題に関わってこられた様々な立場の方のことを思い、将来の地域のありように大きな影響を及ぼす決断の重みを感じながら、この場に立っております。

 川辺川ダム事業の歴史を振り返ると、そこには、常に苦難と対立の歴史がありました。

 球磨川流域においては、昭和38年から3年連続で大水害が発生しました。延べ2万戸を越える家屋が被災し、流域に住む多くの住民の方が大変な御苦労をされました。川辺川ダム事業は、このような水害から、流域住民の生命・財産を守る抜本的な治水対策として計画されたものです。県は、流域住民の生命・財産を守るという立場で、国とともに、ダム建設の推進を図って参りました。

 一方、五木村では、裁判闘争も含め、村を挙げての反対運動が何年にもわたり繰り広げられました。しかし最終的には、平成8年、五木村の方々にダム建設への合意をいただきました。その結果、500世帯に近い住民の方が、住み慣れた我が家を手放し、あるいは、故郷を去っていかれました。ダム建設のために、生活そのものの激変を余儀なくされながらも、この事業に協力していただいた多くの方々の苦渋の決断や関係者の方々のご尽力を思うとき、胸が痛みます。

また、平成13年には、ダム建設に反対する住民団体が「ダムなしでも球磨川の治水は可能」との見解を公表したことがきっかけとなり、「住民討論集会」がスタートしました。国土交通省と住民団体とが、公開の場で対等に議論するという、他に例をみないこの集会は、約2年間、計9回にわたり実施されました。これによって、ダム問題の論点は、県民にとってわかりやすいものになりましたが、双方の意見が一致することはなく、対立は一層深まりました。
2. 有識者会議での議論

 私は、この問題に対する態度を表明するにあたり、知事就任後直ちに、様々な専門分野の研究者に意見を求めるための有識者会議を設置しました。河川工学のみならず、行政学や保全生態学など、幅広い分野の研究者で構成されたこの会議では、従来の議論にとらわれず、科学的、客観的に、かつ多角的な観点から熱心にご議論をいただきました。

 有識者会議の議論の中で、私が画期的だと感じたのは、従来から繰り返されてきた「国土交通省と住民団体のどちらの数値が正しいか」といった、基本高水の議論から脱却したことです。これまでは、人吉地点で安全な流量までカットするには、いったいどれだけの洪水調節を行えばよいのかといった「数値の正しさ」に力点を置いた議論がなされてきたように思います。

 しかし、有識者会議では、これらの数値については不確実性を含んでいることを指摘し、ダムによって得られるメリットとデメリットはどういうものなのか、地域の将来像をどうしたいのか、将来の気候変動にどう対応するか、流域全体での総合対策をどう考えるか、といった視点を提供していただきました。

 そして、有識者会議において確認できたことは、河川工学の観点からは、球磨川流域の水害に対して抜本的な対策を実施する場合には、川辺川ダムが最も有力な選択肢であるということでした。国土交通省が当初計画していたダムは、80年に1回程度の確率で発生する洪水を防ぐためのものであり、有効なものでありました。このことは、中立性の観点からアドバイザーとして招聘した、オランダの河川工学者、ブラウン氏の意見と、42年前の建設省の見解が一致したことによってもうかがわれます。

 ダム建設に反対する人々の中には、ダムを建設することで水害が拡大するとか、いかなる目的を持ったダムも認められない、との意見を持つ人もいらっしゃいます。しかし、私はこの意見に賛成することはできません。確かに想定以上の洪水に対応することは難しいと思いますが、想定以内であれば、ダムの水量調整により被害を食い止めることができます。

 ダムを単なる悪者として評価するのではなく、一つ一つのダムが真に必要なものなのか、本当に住民にとって恩恵をもたらすものなのかを冷静になって考えることが重要なのだと思います。

 一方、環境の観点では、ダムに反対する住民団体の方々は、ダムが水質や魚類、稀少生物に与える負の影響について、「ダムの致命的な欠陥」として懸念を示しております。このことがダム反対の大きな理由となっています。

 これに対し、国土交通省は「環境への致命的な影響はない」、「十分な環境対策をとる」としていますが、住民の理解が十分得られているとは言いがたいと思います。実際、有識者会議にとどまらず、私に寄せられたさまざまな御意見からも、多くの方々がダムを造ることによって環境が悪化するとの認識を持っておられます。私も、ダムが環境に与える負の影響は否定できないと考えています。

 有識者会議も、ダムのような構造物の建設はできる限り避けた方が望ましく、建設する場合は、環境への影響をできるだけ回避・軽減するよう配慮する必要があるとしています。そして、ダムが環境に及ぼす負の影響を重視して、ある程度の水害は許容し、他の方法を工夫して、ダムを造らずに対応する方法もありうるとしています
3. 私の判断

 さて、これより、川辺川ダム問題に対する私の考えを述べさせていただきます。判断にあたり、私自身、再三現地視察を行うとともに、県民の皆様をはじめ、流域市町村長、同議長、県議会議員の方々の意見を聞かさせていただきました。さらには、事業主体である国土交通省から、河川整備計画の基本的な考え方について、説明を受けました。いただきました全てのご意見や議論が、これから申し上げる私の判断のための貴重な材料となっております。

 そもそも治水とは、流域住民の生命・財産を守ることを目的としています。日本三大急流のひとつ球磨川は、時として猛威をふるい、そこに住む人たちの生命・財産を脅かすことのある川です。だからこそ治水が必要となります。そして、河川管理者である国は、その責任を全うするため、計画的に河川整備に取り組んでいます。このことは、まぎれもなく政治と行政が責任をもって果たすべきものです。

 しかし、守るべきものはそれだけでしょうか。私たちは、「生命・財産を守る」というとき、財産を「個人の家や持ち物、公共の建物や設備」と捉えがちです。しかし、いろいろな方々からお話を伺ううちに、人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川そのものが、かけがえのない財産であり、守るべき「宝」なのではないかと思うに至ったのです。

 田中人吉市長も、先日の意見表明において、球磨川の近くで生まれ育ち、川に親しんできた者として、流域住民とともに、球磨川水系の自然環境再生に取り組み、川がもたらすすべての恩恵を、自分たち自身で一身に受けることができるように、そして子孫に球磨川という宝物を残せるようにしなければならない旨の決意を述べておられます。

 そのような「球磨川という地域の宝を守りたい」という思いは、そこで生まれ育った者でしか理解できないような価値観かもしれません。全国一律の価値基準としての「生命・財産を守るためのダム建設」という命題とは相反するものです。

 しかし、この「ローカル」とも言うべき価値観は、球磨川流域に生きる人々にとって、心の中にしっかりと刻みこまれているような気がします。また、その価値を重んじることが、自分の地域を自らが守り、発展させていこうという気概を起こさせることになります。わが国において真の地方自治を実現するためにも、このような地域独自の価値観を大切にする機運を盛り上げていくことが求められているのではないでしょうか。

 私は、治水についても画一的な基準ではなく、地方の価値観を重視したやり方があってもよいのではないかと思っています。治水の方法論として、その地域なりの要望をよく聞き、流域に暮らす人たちの理解を得ながら進めていくというのがあるべき姿ではないでしょうか。新しい河川法において、環境の整備・保全と、地域の意向を重視していることも、そのことの表れであると認識しています。

 川辺川ダムの最大受益地である人吉市では、田中市長が現行のダム計画の白紙撤回を求めることを表明されました。ダム建設予定地である相良村の徳田村長も、川辺川ダム建設は現時点では容認しがたいと意見表明されております。その他、流域市町村の町村長も、ダム建設についての意見が分かれてきております。

 このように、川辺川ダム建設を取りやめ、球磨川を守ってほしいという地元の方々の深い思いについても、十分に理解することができます。

 住民独自の価値観を尊重することによって、人や地域が輝き、真に豊かな社会が形づくられます。その時、住民の幸福量は増加したといえるのではないでしょうか。

 ここにおいて、私は、現行の川辺川ダム計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求すべきであると判断したことを表明いたします。

 有識者会議の鈴木雅一委員も指摘されたように、国土交通省は、ダム建設上生ずる問題に対しては、研究・開発を熱心に行っています。その一方で、住民が提示した河床掘削による流下能力の向上や遊水地設置などの代替案については、人吉層の掘削は問題がある、貯水のために農地を利用することは社会的にも困難、と言うに止まるなど、「ダムによらない治水」の努力を極限まで行ってはいないと思っています。そのため、住民の理解も得られてこなかったのではないかと感じております。

 しかし、今後は、市街地など保全対象の重要性が高い地点は、他の地点より安全度を高める対策を行うこと、河道掘削についてはアユなどの生息に影響を及ぼさずにどこまで可能であるかを各地点で個別具体的に考えること、遊水地については、既存の考えにとらわれず、土地所有形態と通常時の利用についての様々な可能性を検討することなど、住民のニーズに応えうる「ダムによらない治水」のための検討を極限まで追求される姿勢で臨むよう、国土交通省に対し強く求めていきたいと思います。

 先日、国土交通省から、新たな手法として環境に配慮した穴あきダムの提示がありました。これは突然に提示されたものでありますし、ダムによらない治水案を追求した結果提示されたものかどうか疑問であります。また、穴あきダムの環境への影響や技術的な課題について詳細な説明がない現状では、その是非について判断することはできないと考えております。

 さらに、現在の県の財政状況にあっては、巨額の税金を投入することについて県民の理解を得るためには、住民の幸福量の増大が明らかであることがより一層求められます。その点からも、国土交通省が最大限ダムなし案での検討を行っていると住民が評価していない以上、現行の川辺川ダム計画は認めることができないと考えます。

 本日の私の判断は、過去、現在、未来という民意の流れの中、現在私たちが生きているこの時点から、私たちの世代が見通せる将来までの期間において、県民の幸福のためにいかなる選択が最善かを考えて行ったものです。

 「過去の民意」は、水害から生命・財産を守るため、ダムによる治水を望みました。「現在の民意」は、川辺川ダムによらない治水を追求し、いまある球磨川を守っていくことを選択しているように思います。「未来の民意」については、人知の及ぶところではありません。地球環境の著しい変化や住民の価値観の変化、画期的な技術革新などによって、再びダムによる水害防止を望むことがあるかもしれません。その場合には、すでに確保されているダム予定地が活用されることになり、未来に向けて大きな意義があるものと思います。
4. 五木村の方々へ

 私が今回の決断にあたって最も苦しんだのは、半世紀にわたりダム問題に翻弄されてきた、五木村の皆様のお気持ちにどう応えるかであります。

 五木村の皆さんは、下流の住民の安全のために、住み慣れた家や代々受け継いできた農地、御先祖の墓所などを手放すという苦渋の選択をされました。川辺川ダムの計画以来、村民の村外移転等による人口減少に歯止めがかからず、少子高齢化が著しく進んでいるという状況の中、愛する故郷の将来を心配される心情は、察して余りあります。

 私は五木の子守唄を愛唱した世代です。ご存じのように五木の子守歌には、悲しくつらい歌詞がたくさんあります。私の母は小さい時高等小学校に行けず、五木の子守歌を歌いながら子守をして家族の生活を支えたと言っていました。私が初めて五木村を訪れたのは、選挙戦のさなかでした。それ以来、何回も訪問しています。行くたびに和田村長はじめ村の方々にはいつも暖かく迎えていただいています。知事選でもたくさんの支持をいただきました。

 その私が、知事として、ダムによる五木村の振興を待ち望んでおられている和田村長以下村の人々のご期待に沿えないことになり、とても胸が痛みます。とりわけ、支持してくださった方のことを思うと、とても悲しく思います。

 ただ私は、誰よりも強く五木村の苦難の歴史に応えなければならない、と思っております。確かに、これまでの仕組みによる振興策は困難になるかもしれません。しかし、村の意見を十分にお聴きしながら、私自身が本部長として、村の人口構成と特性を活かした、夢のある新たな五木村振興計画策定に取り組む覚悟です。国に対しても、県とともに対策を講じるよう強く求めていく考えです。
5. 熊本の夢に向かって

 今、私は、この川辺川ダム問題において、ダムによらない治水対策を追求するべき、という態度を表明いたしました。今後、そうした追求が極限までされる中で、流域住民の生命・財産を守り、将来に向けた夢を描くことのできる熊本づくりを進めていきたいと考えます。

 今回の決断が、全国的に人吉・球磨のブランド価値を高め、この地域の観光資源としての価値を一層高めることを祈っています。

 先だって、人吉市内にある青井阿蘇神社が、熊本県で初めての国宝に指定されました。青井阿蘇神社の国宝としての価値は、安土桃山様式の貴重な社殿や楼門がそのまま残っていることにあります。青井阿蘇神社にも近代的手法による改修の誘惑はあったと思われます。しかし先人達がそれを退けたからこそ、今、人吉・球磨地方の誇りと地域振興の源となっているのです。

 熊本は、世界に誇る素晴らしい可能性を秘めております。その中で、川辺川・球磨川流域は、熊本県民にとってもかけがえのない財産です。今こそ、42年間という長い対立を超えて、人吉・球磨の価値を広く全国、あるいは世界に、また子供たちに伝えていきたいと思います。それが、私が知事として、県民の皆様方と一緒になって追い求めたい「熊本の夢」です。
6. おわりに

 最後になりましたが、川辺川ダムを造らないからといって、水害による被害から目をそらすことはできません。しかし、有識者会議の佐藤洋平委員が提言されたように、「洪水を治める」という旧来の発想から脱却し、「洪水と共生する」という新たな考え方に立脚すべきであると考えます。そのためには、ダムによらない治水対策を極限まで追求すると同時に、都市工学の英知を結集して「川とともに生きるまちづくり」を目指すことも必要になると考えます。

 そして、そのようなハード面の対策に加え、人命の安全確保のための、万が一の場合の警報システムおよび緊急避難システムの構築など、ソフト面の充実も早急に実現したいと思います。特に、高齢化が急速に進んでいる現状を踏まえ、誰もが安心感を持てる仕組みづくりを行うことが重要と考えております。

 そうしたハード、ソフト両面の対策が有効に機能するには、流域住民の皆様方の主体的な参加が不可欠です。

 日頃からの水害対策事業や、災害時対応、災害後の復旧においては、地元の消防団、建設業の方々をはじめ、多くの人がまさに体を張って努力されております。川を守り、同時に住民の安全をも守るという理念を持って行動できるのは、地域にお住まいの方々にしかできないことです。

 そして、住民一人ひとりが、地域に誇りを持ち、かつ安心して暮らしていけるようにするために、自分に何ができるのか、真剣に考え、行動していただくことを期待しております。

 本日の私の判断は、全ての方に受け入れられるものではないかもしれません。しかし、現時点において、私は、住民の皆様方にとって最良の決断をしたものと確信しております。

 いま、アメリカ大統領選挙では激しい選挙戦が繰り広げられています。しかし、それが終われば、敗者は勝者を認めて賞賛し、勝者は敗者の健闘を称えます。このように、民主主義の本質には対立があります。しかし、民主主義のすばらしさは、対立を超えて結束し、さらなる高みに向かって一歩踏み出すことです。

 われわれも川辺川ダム問題による対立を超え、結束すべき時が参りました。
 熊本の夢に向かって、私と共に、新たな一歩を踏み出そうではありませんか。

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