ブログ

そのジャンプ必要ですか? - 平昌冬季五輪フィギアスケート

平昌冬季オリンピックが終わりましたが本当に素晴らしい大会でした。特に印象に残ったのはカーリング女子日本チームののゲームを楽しむ姿で、世界最高峰の舞台でありながらスポーツの原点を見ることができたのは幸いでした。

また、フィギアスケートでは男女ともに下馬評通りの結果ではありましたが、歴史に残る異次元の戦いが繰り広げられ楽しませてもらった反面、アリーナ・ザギトワ選手とエフゲーニャ・メドベージェワ選手、そして羽生選手の圧倒的なスコアを目の当たりにすると、この三選手を超える事への困難さを、フィギアスケートファンとしてどのように受け止めればよいか混乱しています。

米国のアシュリー・ワグナー選手がTwitter上で後半にすべてのジャンプを入れてきたザギトワ選手のプログラム構成に疑問を投げかけ波紋を広げていますが、ファンだけではなく選手自身が一番深刻に受け止めているのかもしれません。

ルール上最も点数を稼ぐことが出来るプログラム構成と、それを遂行する高い能力があったればこその今回の結果ですが、2010年シーズンのルール改正によりスパイラルシークエンスがコリオスパイラルに変更されたあたりから、改正趣旨とは反対に、本来の美しい演技とジャンプなどの融合が魅力のフィギュアステートとは違う方向に行っているような気もします。

さてザギトワ選手の後半のジャンプですが、どれも素晴らしい出来栄えです。しかし、それが後半であるかどうかというより、音楽の中で必然性があったかどうか?それがプログラムの美しさにつながったかどうか?それは演技を観るものがそれぞれの主観で判断すればよいと思います。ワーグナー選手にはそのように映らなかったということです。

一方、宇野昌磨選手がトゥーランドットで見せた後半のジャンプは、音楽のストーリーからいっても必然性のあるジャンプだったと思います。それらのことが、ジャンプも含め美しい演技をする選手として評価されているのではないかと思います。そういう意味では、宮原知子選手もとても美しいプログラムでした。

しかし、ザギトワ選手とメドベージェワ選手もまだ若く伸び盛りなので、美しさ(スパイラルやスピンのポジションは正直美しいとは言い難い)が高いポイントとなるようにルール変更されても、きちんと対応して美しいプログラムを披露できるでしょう。

後半のジャンプに話題を戻しますが、これまでで一番後半のジャンプとしてプログラム構成上必然性を感じたのは、浅田真央選手が2007年シーズンフリースケーティングで滑った「幻想即興曲」です。

世界選手権では冒頭のトリプルアクセルを失敗(というか、氷に引っ掛かってジャンプ前に派手に転んだ)したためジャンプ構成が変わりましたが、四大陸選手権までのプログラム構成は、曲が静かにフィナーレへと向かうところでダブルアクセルを跳んでプログラムを終えるのです。

みなさんも一度機会があったらご覧ください。

ダウンロード

先頭へ