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システムはどうあるべきか?

  • 鋪田博紀

システムはどうあるべきか?などと大げさなタイトルですが、単に気になった記事を見つけたので...

讀賣新聞の、東証がシステムの方針転換をというニュースです。

障害対策で東証、「防止」から「早期復旧」に方針転換 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 東京証券取引所は7月に発生した売買システムのトラブルを踏まえ、金融庁に5日、当面の対策を報告するとともに、抜本的な再発防止策作りに乗り出した。
システムに欠陥があってはならないという「完全無欠」の思想から脱却し、トラブルが起きても影響を最小限に抑え、早期に復旧できる体制を目指す。今後、組織の見直しなどを進め、来年後半に導入する次世代システムの設計にも、こうした思想を反映させる。(後略)

コンピューターの世界に限らずおおよそこの世のシステム(自然であれ人工であれ)には完璧というものがない、特に自然に関しては最高レベルの英知と科学力をもってしても防ぎようがないトラブルがあり、それを「天災」という(時には「人災もあるけれど)。

例えば地震。

大きな地震があるたびに建築基準法で耐震基準が引き上げられてても、想定外の新たな地震被害が起きればそれまでの耐震基準はどうだったのか?完璧なはずの人間が定めたルールはいとも簡単に自然災害の前に敗れ去ってしまう。姉歯事件の耐震偽装の時に日本中が右往左往したとき、その事件性は別として、耐震基準の神聖視や許容応力度等計算が正しくて限界耐力計算法は甘いといった議論を、地震の神様がいたら笑っていたことだろう。

例えば水害。

河川や水路・側溝といったものも数十年スパンを見越して設定される1時間あたり雨量(例えば100mm/h)を最近の集中豪雨はいともたやすく超える雨をもたらし、甚大な被害を受ける。日本中すべての水路を300mm/hに設定し工事をやり直すのは、天文学的な予算がかかるだろう。

人間が作ったシステムも完璧はない。まして自然相手では、人間が勝手に望んだ完璧な対策などはないだろう。

それでも、それらを乗り越えて英知を働かせてそのリスクを極力回避する最良策を探り、実行するのが政治の役目だ。けれどそれは政治家だけの役目ではなく、私たち一人一人が負わなければならない使命であり運命だ。

基準やルールを絶えず見直して少しでも安全率を高める努力は必要だが、それを絶対視したり神聖視してはいけない。特に、精緻なシステムほどいったん破綻したときの脆弱さは恐ろしい。想定外のことが起こったときそのエラーをどこまで食い止めることが出来るか、起きてしまったエラーをどこまでどんなレベルまで復旧させることが出来るか、またそのエラーをお互いにどこまで辛抱できるか(もしくは辛抱するか)の合意形成と許容範囲を常に持つことが出来るか。このことももっと重要視しなければいけない。

などと、記事を読みながら考えてみたりしたわけです。

そういえばいろんなボランティアベースのイベントの企画に関わって思ったのですが、中途半端にプロっぽい考えで精緻に事を進めるとかなりの確立で破綻します。それは企画する側がスキなく完璧であろうとすればするほど起こりやすい。参加者の大多数がいわゆる素人の場合尚更です。

素人さんは、企画側が考える通りには行動してくれません。考える通りには考えてくれません。言ってみれば自然そのものです。企画側がよほどの安全率というかマージンを持っていないと企画側がイライラして破綻するケースが多いような気がします。「なんとかなるさ」「こんなもんでしょう」という気持ちがないとなかなか上手く行きません。

ただ、本当のプロフェッショナルはそのあたりもちゃんと考えられる人だけに与えられる称号なんでしょうね。あ、なんだかわけのわからない文章になってしまいました。失礼しました。

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